永遠の心の恋人のライブと小旅行@名古屋 後編

目覚めてカーテンを空けると、名古屋の街の上空は雲1つない青空が広がっていた。この日のプランは2つ考えていて、ひとつは名古屋港の水族館周辺のプラン。明るいうちは南極船も撮りたいし、名古屋海洋博物館の展望室にも昇りたい。水族館の魚達やイルカショーも見たい。夕方になったらシートレインランドの観覧車を針穴で撮りたいし、イタリア村だってあるらしい。朝から夜まで一日過ごせそうだった。
もうひとつのプランは、『明治村』。名古屋ではなくて犬山市だけど、名古屋駅から乗り継ぎが良かったら一時間くらいで行けるらしい。明治村は私が中学生の時に、愛知の親戚に連れて行ってもらった事がある。もうあまり記憶に残ってないくらい昔だ。近年近代建築に興味を持っているので、明治時代の素晴らしい建築物が移築されているという明治村に行って見るのも素敵ではないか。青空を見た途端プランは決まった。『明治村』へ行こう!
(とても長文)


名古屋の食べ物の楽しみのひとつとして、喫茶店のモーニングサービスでモーニングを食べるという計画があったのだけど、昨日食べ残したサンドイッチを食べてしまってお腹いっぱいのため断念。次回の楽しみに取っておこう。
ホテルをチェックアウトして名古屋駅へ向かう。犬山へ行くには名鉄。案内看板に従って歩くと名鉄名古屋駅に着いた。09時17分発岐阜行き準急(3分遅れで到着)に乗った。平日だし通勤通学ラッシュは過ぎた時間にしても、ずいぶんと乗客が少ない。反対方向は混んでいたかもしれないけど、犬山方面は一車両に数える程の乗客しか乗っていなかった。車窓から見える風景は市街地から田園風景に変わって、朝日がポカポカと差込んでとても気持ちが良い。旅してる気分も高まってくる。09時50分犬山駅到着。事前の行き方調査の通り、駅の東口へ向かう。ここからはバスの旅だ。
バス停はすぐに見つかった。先客のバスを待つ人は2人。発車予定時刻は10時06分。平日だから人は少ないのは当然か。このまま3人だけなのかなと心配していたら、次第に人が増えてきて最後は10人位になっていた。でも直通バスじゃなくて路線パスだから、乗客は下車したり乗車したり。前の席に座っていたので数えてないのだけど、明治村到着時には何人乗っていたのだろう。10人はいなかったような感じがする。って、そんなことはいいか。およそ20分で明治村正門前に到着した。空気が美味しいこんな山の中に明治村はあったのね。
正門前には、黄色い帽子を被った小学生達がいっぱいいた。遠足かな? 乗り物一日券付の入村チケットもあったけど、写真を撮る事が目的だから入村するだけを選択して、入村料1600円を払い「行ってらっしゃい」と見送られ、明治村の中に入る。少しでも身軽に動けるよう必要なものだけ出して、残りはコインロッカーへ預けた。ズームレンズを付けたデジタル一眼レフと露出計がわりのコンパクトデジタルカメラ、ちゃんと写真を撮るって決めた時しか持ち歩かない大きめの三脚、針穴カメラ、レリーズとストップウォッチ。いっぱい..。


ゲートでもらったMapを見て、行き先を決める。考えてたよりも広大な敷地で、1丁目から5丁目まである。正門が1丁目にあるから1丁目からスタート。コロッケを食べる小学生達に目を奪われて『大井牛肉店』(1887年築・旧所在地/神戸市生田区元町)の建物を眺めそびれる。『大井牛肉店』の2階では牛鍋が4000円で食べられるらしい。その横に建つ『三重県尋常師範学校・蔵持小学校』(1888年築・旧所在地/三重県名張市蔵持)。なんともエレガントな入り口部分のアーチ。真っ白な外壁には、数える程しか葉の残っていない桜の木のシルエットが、うっとりとするほど映えている。建物の中に入ると、当時を再現したような教室の内部をそのまま見る事ができる。裏にはちょうど見頃の紅葉。平日なので遠足で来ている子供達が賑やかに通り過ぎた後は訪れる人もなく、空は真っ青で教室内に差込む太陽の光が美しくて、明治時代生まれの素晴らしい小学校の校舎の中に抱かれて、こんな贅沢な時間を過ごせている幸せを、針穴写真を撮りながら噛みしめる私であった。


『近衛局本部付属舎』(1888年築・旧所在地/東京都千代田区皇居坂下門内) のアーケードの中を通りぬけて『赤坂離宮正門哨舎』(1908年築・旧所在地/東京都港区元赤坂) の前を通り過ぎ、道を登って『聖ヨハネ教会堂』の方へ向かった。沿道は見頃を迎えた紅葉があちこちにあり、美し過ぎてなかなか前へ進む事ができない。「おはようございます!」「こんにちは!」走り抜けて行く遠足の子供達が元気に挨拶してくれる。紅葉にカメラを向けていると私の母よりも少し下くらいの御夫婦が立ち止り「この紅葉は綺麗ね」と、一緒に見上げてくださる。ひとりきりで慣れない場所に行くと、こんなささいな事がとても嬉しい。もちろん、慣れた場所でも嬉しい:)


『聖ヨハネ教会堂《重要文化財》』(1907年築・旧所在地/京都市下京区河原町通五條)。森の小径を登り切ると、右手に視界が開けてくる。真っ青な空の下にそびえ立つ2つの十字架。それはとても美しくて、「わぁ〜!」と歓声をあげたほどだった。絵を描く人。記念写真を撮る人、それでも少しだけの人しかいない。建物の内部も1組2組程度で出る時には私ひとりだけ。神に感謝したくなるほど幸せな撮影時間を過ごしたのだった。


『学習院長官舎』(1909年築・旧所在地/東京都豊島区目白) 。懐かしい焦げ茶色の和館。しかし洋館と和館をつなぎ合わせた形式になっているらしい。内部には入れないようなっていた。この建物の裏手の紅葉はとても素晴らしかった。表は桜の木。明治村は四季を通じて木々や花達も楽しめる場所のようだ。


『西郷從道邸《重要文化財》』(1877年築・旧所在地/東京都目黒区上目黒)。『学習院長官舎』の横で貴婦人のような姿で建っている。異人館のような優雅な外観だ。入室もできたので内部のインテリア鑑賞も堪能できる。ここのテーブルにセッティングされていた食器は、すべてノリタケのものだった。


10:30入村から2時間経過して、すでに12:30になっていた。まだ1丁目なのに。これは一日では回るのは無理かもしれない。『西郷從道邸』の横にあった和食処 『碧水亭』(ここは冬期は休業しているらしい)に入って、お昼ご飯を食べる事にした。中に入ると大きな窓から見える景色が素晴らしい。名古屋コーチン親子丼を食べた。値段が高いなと思ったけど満足。とても美味しかった。この『碧水亭』の周りにはノラ猫が数匹いた。入る時に見つけて何か残して持ってきてやろうと思ったのに、全部食べちゃってごめんね..。


『森鴎外・夏目漱石住宅《旧東京都旧跡》』(1887年築・旧所在地/東京都文京区千駄木町)。この家で夏目漱石は「吾輩は猫である」を書いたという。猫の人形の置かれていたのが書斎だろうか。入室も自由で開放されている。私がここに居る間誰も来なくて、独り占めの幸せな時間を堪能したのだった。


偉人坂を下って2丁目へ向かう。ここもまた紅葉が素晴らしく、歩くペースがスローペースになってしまう。色んな形の葉っぱの色んな色の紅葉、それぞれが太陽の光を浴びて輝いて美しい。風が吹くと1枚2枚と枝から離れていく。でも寂しい感じがしないのは、枝には次の準備が始まっている事と、このお天気のせいだろう。
2丁目
『札幌電話交換局《重要文化財》』(1898年築・旧所在地/札幌市大通)。石の外壁が美しい建物。中に入ると昔の電話機が展示されていた。
『安田銀行会津支店』(1907年築・旧所在地/福島県会津若松市大町) 。ハイカラ写真館という名で、明治時代の衣装を着て写真を撮る事のできる写真館として使われていた。衣装だけでもレンタルできるらしい。ここの写真を撮るのを忘れた。
『京都中井酒造』(1870年築・旧所在地/京都市中京区御幸町通) 。京都の造り酒屋の建物。


『東松家住宅《重要文化財》』(1901年築・旧所在地/名古屋市中村区船入町)。吹き抜けの美しさが溜息もの。ここで長時間露光して針穴写真を撮ったのだけど、前のフィルムを巻いてなかったことがわかり再び戻って取り直しをした。そのくらい素敵。内部にも入ることは可能だった。ここで女性一人で一眼レフと三脚を持っている撮影に来ている人と会った。お互いに「こんにちは」と挨拶しあう:) ただそれだけだけど、仲間を見つけた感じがして嬉しかったのだった。
『清水医院』(1897年築・旧所在地/長野県木曽郡大桑村須原)。入室可能だったので上がり込んで正座し写真を撮っていると、建物の外側からのぞき込んだ人に驚かれてしまった所。医院なので薬瓶や薬だなや聴診器や、見覚えのある懐かしいものがいっぱい。裏の部屋のガラス戸の前に置かれていた薬棚、ここに私の小瓶コレクションを入れてみたい!!!と思った。美し過ぎる..。
『第四高等学校物理化学教室 』(1890年築・旧所在地/石川県金沢市仙石町) 。廊下の窓ガラスに映る木々の影を楽しみながら、ここの階段教室に入った。黒板の前に立って教室内を見回すと、賢くなったような気分が味わえた。この空間も独り占め。すばらしき晴天の平日。
『千早赤阪小学校講堂 』(1897年築・旧所在地/大阪府南河内郡千早赤阪村)。1階部分には入ることができるようだったが、外壁に映る木々の影に気を取られてしまい中には入らずじまい。
『東山梨郡役所《重要文化財》 』(1885年築・旧所在地/山梨県山梨市日下部町)。2階部分は個展もできる貸しギャラリーになっているようだ。ここでも外壁に映る木々の影に気を取られてしまう。
3丁目
『北里研究所本館・医学館 』(1915年築・旧所在地/東京都港区白金)。敷地内の木々や植物に目を奪われながら、やっと3丁目までたどり着いた。この『北里研究所本館・医学館 』に着いたのは14時50分位で、明治村は16:00閉園。実質あと1時間しかない。じっくり写真を撮りながら(特に針穴)だと、一日だと半分が限界か。ここも内部入室可。
『幸田露伴住宅「蝸牛庵」』(1868年築・旧所在地/東京都墨田区東向島)。時間によってボランティアのガイドさんが案内してくれるらしい。私が到着した時刻は終了した時刻頃だった。写真が好きだったという幸田露伴のこの家には現像室もあるという。素敵だ。


『西園寺公望別邸「坐漁荘』(1920年築・旧所在地/静岡県清水市興津町)。
『品川燈台《重要文化財》』(1870年築・旧所在地/東京都港区品川)。かって海の番人だったこの灯台、現在は灯台から見える風景は入鹿池。ボートで遊ぶ人達を優しく見守っているようだった。
『菅島燈台付属官舎《重要文化財》』(1873年築・旧所在地/三重県鳥羽市菅島町)。
『長崎居留地二十五番館』(1889年築・旧所在地/長崎県長崎市南山手町)。入室可のようだったが、この時点で15時30分だったため入室せず。残念。
『神戸山手西洋人住居』(1887年築・旧所在地/神戸市生田区山本通)。上から見ただけ。残念。
3丁目の入り口まで降りた所で閉園時間を告げるアナウンスが始まった。正門に戻る途中で、1丁目で見ていなかった『二重橋飾電燈』(1888年築・旧所在地/京都千代田区皇居内)と『鉄道局新橋工場』(1889年築・旧所在地/東京都品川区大井町)を横目で眺めた。ああっ、もっと見たい。もっと見たかった。閉まる時間が早いので開園時間すぐから来た方が良い。今回はそれより1時間遅れだったけど、次回は4丁目5丁目のとても見たかった帝国ホテルや聖ザビエル天主堂を撮ろう。今回見る事のできなかった建物もじっくりと見よう。乗り物にも乗ろう。必ずまたここに来る事を心に誓い、コインロッカーから荷物を出し、ゲートを出るとバスが待っていたので走ってバスに乗った。
夢中になって楽しく撮っていたんで、疲れていたんだろう。犬山駅のホームで乗る電車ではない反対側のホームなのに発車前に飛び乗ってしまい、すぐ気が付き、隣駅の犬山遊園で降りて反対側のホームに走り乗車し直したり。乗った電車はそのまま名古屋駅を通る電車だったので、安心してうつらうつら、新幹線が見えていたし、名古屋駅のJRセントラルタワーズも見えたので、止まった駅であわてて下車すると、名鉄名古屋駅の1つ前の駅だったり。余裕があれば名古屋港の観覧車を撮りに行きたいところだったけど、こんな状態なのでやめておくことにした。平日なので通勤ラッシュもあるだろうし。
その代わりにJRセントラルタワーズのタワーズテラスのクリスマス・イルミネーションを撮りに行った。


人が多かったのでツリーの横にあった空いたベンチに座って、迷惑にならないようにベンチに三脚を立てて針穴撮影をしながら、デジカメ一眼レフでも撮影。その際レンズフードが邪魔なので外した。2枚の針穴写真をその場所で撮って、場所を移動して、他の場所で通行の人の邪魔にならないように小さくなって針穴撮影を1枚。その後はデジカメ一眼レフで数枚撮影。もう充分だと思ってお茶でも飲もうとタワーズプラザのスカイシャトルで12階に上がった。そこのベンチでカメラをちゃんと仕舞おうとしているうちに、レンズフートがないことに気が付いた。
2階に降りてタワーズテラスの座っていた場所や立ち止った場所で探すが、レンズフードはなかった。警備員さんに落とし物をしたかもしれない事を言うと、1階の防災センターに行ってくださいと、場所を教えてもらったので、そこで紛失届も書いた。出てこなかったら買わなきゃいけないなと思いながら、お腹もすいてきたので夕食を取ろうと再びレストラン街へ上った。席に着いて上着(袖が長めのコート)を脱いだら、なんと私の左腕にレンズフードが…..。外した時に腕にはめてしまっていたようだ。ドジ。
夕食後15階のスカイストリートで名古屋の夜景を眺め、スカイストリートのクリスマスツリーを眺めて、20時前の新幹線に乗って大阪に帰った。永遠の心の恋人のライブと小旅行@名古屋は、最後は失敗も多かったけど、とても充実した小旅行になった。また近いうちに再びここに来よう。食べ残したもの、見損ねたもの、行きたかった場所、まだまだいっぱいあるのだもの:)
写真は私の2つのFlickrから。今後もう少し追加の予定。この日に撮影した針穴写真は、そのうちFlickrで小出し予定。まとまったらここかあなろぐ茶房で。それにしても、葉っぱと建物とクリスマスイルミネーションしか映ってないよ。私のカメラ;P

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コメント

  1. しきはん より:

    明治村。。。。。懐かしいです。
    私も小学校6年ぐらいに家族で行きました。
    覚えているのは、
    すごく広かったこと、なんかお肉の料理を食べたこと、帝国ホテルがすばらしかったこと、もっと中に入れたらいいのになって思ったこと、です。
    読んでいると、ずいぶんあちこち中に入れたんですね。
    昔とは規則が変わったのかもしれない。
    未だに、あの森の中の空間をフッとした時に思い出します。
    時々、あそこで針穴したいな〜ッて思います。
    だから、いいないいな〜って思いながら読みました。
    針穴写真がFlickrに出てくるのも楽しみにしてます。 

  2. まえはし より:

    詳細なレポート、楽しませていただきました。
    う〜ん、明治村に行ってみたくなりました。
    しかしここ、一日で回るのは到底不可能ですね(汗)。
    本当に、急に寒くなりましたが風邪にはお気を付けを・・・。

  3. tearoom より:

    しきはんさん
    たくさん覚えてていいなあ:)
    私は13歳の時だったから同じ年頃の頃ですね。
    着ていた服は黄色いギンガムチェックのワンピースで母のお手製でした。
    でも他は漠然と素敵だったとしか覚えてなくて..。
    とてもいいタイミングで、いい時期に再び行く事が出来て幸運でした。
    ここは良いですよ。鉄もいました;) 
    次に明治村に行ったら、電気ブランも飲みたいです。
    (あとで知って大ショック)
    まえはしさん
    長いのに読んでいただいてありがとうございます。
    調べながら書いていったので、かなり時間をかけました。
    私の明治村へのお熱が、伝わったようで嬉しいです:D
    乗り物を使うと、建物だけなら一日でまわれると思います。
    私は今回紅葉に目を奪われすぎました。綺麗でした〜!!
    ありがとうございます。
    今日インフルエンザのワクチン注射もしてもらってきました。
    だから安心ってこともないですが、用心用心。風邪は怖いです。
    まえはしさんも暖かくしてお過ごしくださいね。

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